10月25日に、前作より17年ぶりとなるフルアルバム「NARKISSOS」(ナルキッソス)を発売した、サディスティック・ミカ・バンド。1989年、再結成時のゲストヴォーカル・桐島かれんに続いて、今回はフィーチャリング・ヴォーカリストに木村カエラを迎えて、Sadistic Mikaela Band Revisitedとして復活を果たした。
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サディスティック・ミカ・バンド初期のメンバー
結成当初は、元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦(ギター、ボーカル)、加藤ミカ(ボーカル)、角田ひろ(ドラムス。現:つのだ☆ひろ)がメンバーだったが。
これに高中正義(リードギター)を加えて、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビュー。
その後、小原礼(ベース)が参加し、ほぼ同時期に角田ひろが脱退。高橋幸宏(ドラムス)が参加をしてアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」を1973年に発表した。このファースト・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』は発売当初は数千枚しか売れなかった。
ところがイギリス特にロンドンでこのアルバムが評判となり、その評判が日本に伝えられ、結果的に「逆輸入」という形で日本でも評価されるようになった。
クリス・トーマスが2nd アルバムの『黒船』をプロデュースしたいと言い出したのも、このファーストアルバムを聞いてのことだった。
そして、このファースト・アルバムにサポート的に参加していた今井裕(キーボード、サックス)が、次作の『黒船』から正式メンバーになる。(ちなみに小田和正もファースト・アルバムでサポート・メンバーとしてピアノを弾いていた。)
これに高中正義(リードギター)を加えて、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビュー。
その後、小原礼(ベース)が参加し、ほぼ同時期に角田ひろが脱退。高橋幸宏(ドラムス)が参加をしてアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」を1973年に発表した。このファースト・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』は発売当初は数千枚しか売れなかった。
ところがイギリス特にロンドンでこのアルバムが評判となり、その評判が日本に伝えられ、結果的に「逆輸入」という形で日本でも評価されるようになった。
クリス・トーマスが2nd アルバムの『黒船』をプロデュースしたいと言い出したのも、このファーストアルバムを聞いてのことだった。
そして、このファースト・アルバムにサポート的に参加していた今井裕(キーボード、サックス)が、次作の『黒船』から正式メンバーになる。(ちなみに小田和正もファースト・アルバムでサポート・メンバーとしてピアノを弾いていた。)
サディスティック・ミカ・バンド解散
加藤和彦・ミカの離婚により、1975年11月にサディスティック・ミカ・バンドは解散した。
福井ミカ
生年月日不詳。加藤和彦の元夫人で、伝説のロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカル、コーラス(当時は加藤ミカ)。日本では『ジャラン・ジャラン』というセルフ・プロデュース作品を1994年に世に出し、その才能を改めて実証した。
もともとは加藤和彦の大ファンで、ある日、楽屋に押しかけて、いきなり「加藤さん、ギター教えて下さい!」と迫ったという。その後、恋仲になり、結婚。加藤がロックバンドを編成する際に、ボーカル、コーラスとして参加。「サディスティック・ミカ・バンド」の結成に至る。
バンド名の由来はジョン&ヨーコの「プラスティック・オノ・バンド」をもじったもの。
「ボーカルに難あり」と言われながらも、「タイムマシンにお願い」ではメインボーカルを担当。それなりにバンドの顔としての地位を築いたとの説もあるが、バンドの陰のリーダーだったとの説もある(後者の説については『ジャラン・ジャラン』が有力な裏付けとなっている)。
伝説のアルバムとなった「黒船」のプロデューサークリス・トーマスと、イギリスツアー中に恋愛関係になり、その後加藤と離婚。ミカ・バンドも解散した。ここに物事に執着心がない加藤和彦の性格が出ている、という説もある。
離婚後、ミカはロンドンに在住。料理研究家として活動。
クリス・トーマスがプロデュースしたバッドフィンガーの『Wish You Were Here(素敵な君)』収録の「Know One Knows(誰も知らない)」での日本語のスポークン・ワーズもミカが担当した。
一時期は、作詞家として、織田哲郎の楽曲を提供した。
福井ミカ
生年月日不詳。加藤和彦の元夫人で、伝説のロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のボーカル、コーラス(当時は加藤ミカ)。日本では『ジャラン・ジャラン』というセルフ・プロデュース作品を1994年に世に出し、その才能を改めて実証した。
もともとは加藤和彦の大ファンで、ある日、楽屋に押しかけて、いきなり「加藤さん、ギター教えて下さい!」と迫ったという。その後、恋仲になり、結婚。加藤がロックバンドを編成する際に、ボーカル、コーラスとして参加。「サディスティック・ミカ・バンド」の結成に至る。
バンド名の由来はジョン&ヨーコの「プラスティック・オノ・バンド」をもじったもの。
「ボーカルに難あり」と言われながらも、「タイムマシンにお願い」ではメインボーカルを担当。それなりにバンドの顔としての地位を築いたとの説もあるが、バンドの陰のリーダーだったとの説もある(後者の説については『ジャラン・ジャラン』が有力な裏付けとなっている)。
伝説のアルバムとなった「黒船」のプロデューサークリス・トーマスと、イギリスツアー中に恋愛関係になり、その後加藤と離婚。ミカ・バンドも解散した。ここに物事に執着心がない加藤和彦の性格が出ている、という説もある。
離婚後、ミカはロンドンに在住。料理研究家として活動。
クリス・トーマスがプロデュースしたバッドフィンガーの『Wish You Were Here(素敵な君)』収録の「Know One Knows(誰も知らない)」での日本語のスポークン・ワーズもミカが担当した。
一時期は、作詞家として、織田哲郎の楽曲を提供した。
サードアルバム『ホット!メニュー』
セカンドアルバム後、小原礼が脱退し、後藤次利がベースとして参加。サードアルバム「ホット!メニュー」の完成によりクリス・トーマスからの干渉から解放された1975年には、ロキシーミュージックのオープニング・アクトをつとめイギリスツアーを成功させた(ロキシーの時間も大幅に食ってしまったとのこと)。
当時、高中は弱冠22歳、リーダーの加藤でさえ28歳だった。沸きに沸くそのステージの模様は、ライブ盤「ライブ・イン・ロンドン」で聴くことができる。特にラストの「塀までひとっとび」(「黒船」に収録、英語タイトルは「Suki, Suki, Suki」)は名演で、1989年の再結成ライブの際にもアンコールで演奏され観客を沸かせた。その模様もライブ盤「晴天」で聴くことができる。
当時、高中は弱冠22歳、リーダーの加藤でさえ28歳だった。沸きに沸くそのステージの模様は、ライブ盤「ライブ・イン・ロンドン」で聴くことができる。特にラストの「塀までひとっとび」(「黒船」に収録、英語タイトルは「Suki, Suki, Suki」)は名演で、1989年の再結成ライブの際にもアンコールで演奏され観客を沸かせた。その模様もライブ盤「晴天」で聴くことができる。
セカンドアルバム 『黒船』
第2弾アルバム(のちに『黒船』となる)の制作にとりかかっていた頃、ビートルズやピンク・フロイドを手がけて有名になっていたイギリスの音楽プロデューサー、クリス・トーマスから「プロデュースさせてください」とのオファーを受け、彼をプロデューサーとして起用してセカンドアルバム「黒船」を録音。
日本だけなく海外でも発売されたこのアルバムは、現在でも再版されており、名盤と呼ばれている。
日本だけなく海外でも発売されたこのアルバムは、現在でも再版されており、名盤と呼ばれている。
3代目ボーカル 木村カエラ
2006年には加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏に、木村カエラ(ボーカル)を加えて Sadistic Mica Band Revisited として再々結成。
「タイムマシンにおねがい」がキリンラガービールのCMソングに使用された。
このCMソングの評判がよく、フルバージョンで聴きたいという希望が多かった(CMではサビの部分が使用された)為、着うたとパソコンから音楽配信されることが決定。iTunes Music Storeの配信ランキングで一位を獲得するなどの記録を残した。
2006年8月30日にはライブ形式の無料PV撮影会を行った。
「タイムマシンにおねがい」がキリンラガービールのCMソングに使用された。
このCMソングの評判がよく、フルバージョンで聴きたいという希望が多かった(CMではサビの部分が使用された)為、着うたとパソコンから音楽配信されることが決定。iTunes Music Storeの配信ランキングで一位を獲得するなどの記録を残した。
2006年8月30日にはライブ形式の無料PV撮影会を行った。
2代目ボーカル桐島かれん
1989年には加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏に、桐島かれん(ボーカル)を加えて Sadistic Mica Band (ミカの表記が「Mika」から「Mica」に変更)として再結成。
アルバム「天晴」を発表した。
先行されて発売されたシングル『Boys and girls』はマツダ・ファミリアのCMソングにもなった。
アルバム「天晴」を発表した。
先行されて発売されたシングル『Boys and girls』はマツダ・ファミリアのCMソングにもなった。
サディスティック・ミカ・バンド解散後の活動
加藤和彦・ミカの離婚により、1975年11月にサディスティック・ミカ・バンドは解散した。
解散後、今井裕、後藤次利、高中正義、高橋幸宏の4人でサディスティックスとして活動した時期がある。(1978年頃には自然消滅)
1985年には加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利に坂本龍一、松任谷由実を加えた「サディスティック・ユーミン・バンド」として、国立競技場で開催された国際青年年の記念音楽イベント「All Together Now」に出演。
解散後、今井裕、後藤次利、高中正義、高橋幸宏の4人でサディスティックスとして活動した時期がある。(1978年頃には自然消滅)
1985年には加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利に坂本龍一、松任谷由実を加えた「サディスティック・ユーミン・バンド」として、国立競技場で開催された国際青年年の記念音楽イベント「All Together Now」に出演。